8月といえばお盆、そして終戦、というイメージがある。
私はあまり祖父母との縁のない……というか、あまり話さない孫だった。自分は一人っ子だが、いとこの中では一番末で、まるまるとした女の子だったので赤ん坊の頃は相当に可愛がられていたらしい。だが、小学生くらいになると、祖父母はどう接したらいいかわからない相手になったように思う。年齢的に認知症が始まったり、話し方がどうしても聞き取りづらくなったりしたことや、父母の不仲が決定的になってきた流れで、盆正月に会いに行くのもあまり楽しくないイベントになってしまったりしたことが原因かな。今はもう4人ともこの世から去ってしまった。
4人の中でも、母方の祖父は戦争に関する話をちょこちょことする人だった。母はあまりそれをよく思っていなかったようだ。何度か話を制止していた記憶がある。結構凄惨な内容だったので、子供(私)に聞かせたくなかったのかもしれない。NHKの取材を受けたのにも微妙な顔をしていた。
そう、祖父はNHKの戦争関係の取材を受けていた。それを先日ふと思い出し、祖父の名前で検索してみたところ、なんとちゃんとWEBに動画が掲載されていた。今はもう居ない祖父が、今はもうがらんとしているはずの家の茶の間で、戦争のことを語っていた。放送時に1度実家のテレビで見ていたはずだが、やはり今になって見ると感慨深い。
祖父は戦争末期に動員され、満州に行き、その後シベリアに抑留された。掲載されていたプロフィールを見ると、21歳から25歳にかけてのときだ。今の私より10歳も下の青年が、戦争末期のひどい時期の戦場と、死と隣り合わせのシベリアにいたのだ。
敵の攻撃によって死にかけている戦友にとどめを刺せず、そのまま置いてきたと語っていた。いざというときの、自分用の手榴弾1つしかなかったのだと。
祖父は測量を行う兵だったらしい。効率的に攻撃を行うには必須の役割で、それはつまり、敵軍からすれば被害を拡大した一因でもあった。その罪を問われ、シベリア行きになったのだ、と話していたのを覚えている。雪深い東北地域出身でもなお凍えるような、そんな土地へ。
それでもなんとかして帰ってきた。その後、母を含む一男二女に恵まれ、最終的に末孫の私が生まれた。
山に入って狩りをしたり、松茸を採って売ったり(これは合法だったのか微妙)、タヌキを家で飼ってみたり、鶏を含む大量の鳥で縁側を埋め尽くしたりと、面白いがまあまあ迷惑な男ではあった。
だが、まあ、私やいとこ達には甘くて優しい祖父だった。いくつになっても、盆と正月には冷凍庫にアイスを準備してくれた。いつも座っている居間の席の後ろには小さな収納スペースがあって、お茶を淹れてくれた。
祖父が戦争で死ななかったから、私がいる。
だが、そもそも、戦争なんてなければよかったのだ。雪深い田舎で、それでも計算が早くて、犬を育てて狩りにも行けるような男が、腸の飛び出た戦友にただ声しかかけられなかったなんて思い出も、この水筒がなければ極寒のシベリアを生き延びられなかったなんて思い出も持たずに、ごく普通に生活できれば、一番よかった。
今年に入ってから、デモに行くようになった。
戦争なんてもうこりごりで、絶対にやらないと思っていたのに、どうやらそう思っていない人が、世界の政治に関わっているのだと感じたから。反省なんてしません、とのたまう人間が、どうやら日本の代表を気取っているようだから。今まさに、人を殺しているその銃を捨てろ、人を踏みつけているその足を退けろ、と思っている。
デモとか、スタンディングとか、意思表明とか、しなくていいなら本当にしたくない。でも、やったほうがいいことを、私はやれるなと思ったから、やる。
それで1mmでも世の中が動いて、人を殺しも、殺されもしないで済む人が1人でも増えるなら、その方がいい。

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